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チェリビダッケの終焉 追悼

1996年8月19日
浦添 聡

 音楽の営みは消えてしまうのでしょうか。チェリビダッケの逝去に、わたくし達は深い悲しみを覚えます。チェリビダッケとの演奏会に参加したわたくし達は、その音楽の体験を忘れる事は出来ません。心を底から捕まえて揺さぶられる、その体験こそが音楽そのものであると、わたくし達は気付きました。その体験はとても幸福な出来事でした。それが希有な体験であったからこそ、深い悲しみと同時に、彼が先人から受け継いだ音楽芸術の精神、つまり音楽の営みも彼と伴に旅立ちしはしないかと危惧します。

 芸術は創作家の心持ちの再現です。作品の鑑賞を通して、創作家の心に萌した思いが再現する現象を芸術と呼ぶに外なりません。絵画や彫刻の場合、作品を挟んで、創作家とわたくし達が対峙します。作品は創作家自身の手によるものだけですから、時を超えて心の再現に不純物の挿し挟まる度合いは、音楽に比べて少ないと言えます。作品の姿を留める記法として至って不完全な楽譜のみが、作曲家が残す創作物です。わたくし達と創作家との間には、演奏家と言う第三者が存在するのが音楽の宿命です。チェリビダッケはそこに活躍しました。

 音楽に対する彼の姿勢をチェリビダッケは仔細に語る事はありませんでした。しかし作曲家が作品に込めた心持ちを、楽譜を研究し尽くすことで彼は理解していました。従って彼の使命はそれを聴衆の心に誤りなく再現する事でした。ひとつひとつの演奏毎に聴衆と一緒になって、チェリビダッケは心に再現させて来ました。彼は一回限りのそうした演奏を積み上げて絶大な信頼を聴衆から得てきました。

 彼の演奏に立ち会った者は、感動を蘇らせる目的をもって、後日その放送の録音に接し、必ず失望しました。演奏に直接立ち会う聴衆が得る水準の感動に比して、録音や放送を通した聴衆が深い感銘を得られないのは事実でした。演奏家、会場、聴衆の状態が異なれば、その都度演奏を変えなければならないのは当然です。それはチェリビダッケが度々口にする言い分でした。

 録音や放送の存在しない時代には、演奏はひとつの限られた時空で完結する以外はあり得ませんでした。職業演奏家は一回一回の演奏で評価されてしかるべきでした。録音や放送が出現しても事情に変わりはありません。しかし、直接反応が得られる筈のない、時空を超えた聴衆を想定した演奏を職業とする事を、わたくし達が許可して来たのも事実です。録音した演奏で音楽を評価する不毛な時代にしてしまいました。チェリビダッケ流の、聴衆と共に築き上げる活動と、録音による聴衆から遮断された演奏行為は、同列に論じられる筈はあり得ません。良く知られている通りチェリビダッケはこの種の活動と一線を画しました。チェリビダッケは傍観者としての聴衆でなく、当事者を必要としていたのです。そして当然のことながら数少ない当事者達を除いて、数多くの傍観者達からチェリビダッケは理解されませんでした。

 チェリビダッケの業績は、わたくし達が演奏を商品化した事で失った、本来の音楽の営みを先人から継承し続けた事です。独自の演奏技法から醸し出される音楽に陶酔できたわたくし達は、彼との別れと同時に最早その体験を再度得る事は望むべくもありません。忘れてはならないのは、わたくし達が彼の音楽から感動できたのは、彼が音楽の営みを本来の姿のまま持ち続けた事と、その上に独自性を構築したからだ、という事実です。チェリビダッケの独自性は多様な音楽の営みの単なるひとつの実現様式にしか過ぎませんでした。失うのが忍びないのは事実です。仕方ありません。残念ながら彼の独自性はすでに失われました。唯一可能なのは音楽の営みの継承です。それがチェリビダッケがわたくし達に残した遺産であり、そして課題です。

 わたくし達はチェリビダッケと別れなければならないと言う不幸に不本意にも遭遇しました。彼と共に得た体験は二度と得ることの出来ない貴重なものです。わたくし達はひとりチェリビダッケにのみ音楽を託してしまいました。この過ちは取り返しのつかないものかも知れません。わたくし達はチェリビダッケと共に得たのと同種の体験が、チェリビダッケ以外からは得られないと言う事実に恐怖をさえ感じます。体験は次世代に伝える事は出来ません。彼は重い課題を残して去りました。チェリビダッケの時代は終わりました。

Copyright 1996 Urasoe Satoshi

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