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Those Were The Days

利用しているフィットネスクラブで近頃言葉を交わすようになった、世代が近い英国出身のクラブ仲間から「YouTube面白いよ」(*)と教えられた。その「面白いよ」の背景には、それより少し前、彼の友達がメールで知らせてきたという音楽のリストを、私に転送してくれた事実がある。それらはビートルズの曲を映像化したBeatlesTubeのインターネットアドレスを拾い出した物のリストで、そのとき私はそれらから幾つかを楽しんだ。これは想像に過ぎないが、それを機に、彼はYouTubeから昔の音楽を拾い出して楽しむ事を覚えたらしく、私に「YouTube面白いよ」と言う事になったのだと思う。

(*)英会話の苦手な私に彼は日本語で話してくれ、感謝しています、ありがとう。

Mary Hopkin picture

後日、教えられたように昔親しんだ音楽を検索してみたところ、色々と面白い物に出会える事がわかった。多くは、一度見たらそのまま流してしまったが、その中で立ち止まったひとつが、Those Were The Days / Mary Hopkin である。立ち止まった理由は簡単である。昔この曲が好きだったから。そして、初めて動くメリー・ホプキンを見て、可愛いなと感じたからである。

当時はレコードジャケットや雑誌の写真などでしか彼女を見る機会はなかった。欧米のヒットチャートを題材にしたテレビ番組で、あるいは、当時の映像が流れたのかも知れないが、そうであったとしても私の記憶に残っていなければ、初めて動くメリー・ホプキンである。上手な歌い手として注目されていたのであって、写真の彼女は、遠い極東から見たら単なるその上手な歌手の面影でしかない。彼女にはもうしわけないのかも知れないが、少なくとも当時の私は彼女に女性としての魅力を感じなかった。

ところが、こうして当時の映像を見てみると、動くメリー・ホプキンは魅力的である。特に、ロシア民族衣装風の真っ赤なドレスで歌う彼女は愛らしい。映像の出典が明らかでないので分からないが、この曲がリリースされた68年時点で18歳と言うから、それからそう後の映像ではないと思う。中には80年代と言う映像もあるが、そうであっても30代である。いずれにしても、リリース時点から40年以上も過ぎた現在、遠い過去の女性の姿に惚れたとしても何の問題もなかろう。50年生まれ、拙稿時点で60歳、現役だそうである。私から見ると、当時も今も、少し年上のお姉さんである。

動くメリー・ホプキンの魅力ばかりで、私は立ち止まったのではない。その歌詞である。

当時、私は高校生の頃で、ラジオで聴いたこの曲が気に入った。そう、あの頃の情報源は何でもラジオ、それも深夜放送だった。カセットテープなんて言う代物もない時代で、運良くテープレコーダがあったから、気に入った音楽はラジオからそれに録音して繰り返し聞いた。この曲に関しては、小遣いを叩いてアルバムを手に入れた。英語の歌なので、幾ら聴いても分からないから、歌詞カードの英語を拾い読みして、辞書を引き引き中身を分かろうとした。しかし、良くわからない。

これは日本の恥に属する事柄だけど、事実だから仕方がない。この曲には「悲しき天使」と言う邦題を与えられ売り出された。ラジオでも、ディスクジョッキーが「悲しき天使」メリー・ホプキンと紹介するんだな。そして、この曲は世界的な大ヒットで、大ヒットの常でカヴァーが沢山出る。他の国では知らないが、日本では、妙な日本語の歌詞を付けて、やはり「悲しき天使」と言う題名で売り出す。

歌詞カードの歌詞がなぜ分からないかと言うと、第一には私の英語力が乏しいからに違いないが、第二にはこの「悲しき天使」が影響しているのである。これは恋の歌で、良かった昔の思い出を切なく歌ったものである。日本では欧米でヒットした曲に、勝手にデタラメな邦題を付け、好い加減な歌詞を付けて、売り出していると言う事は、当時の私も知っていた。知ってはいたが、高校生の私は不覚にも、第一原因の無英語力から、Those Were The Days もラヴソングに違いないと思い込んでしまったのである。

古い事で余りはっきりは覚えていないけれど、当時の音楽雑誌にこの歌の歌詞が解説されていて、そこでもラヴソング扱いだったと思う。Think of all the great things we would do 部分の the great things を意味深な内容だと称していて、婉曲で思わせぶりな表現だとか解説していた。ちょっとそれは変だなあとは感じたものの、当時の私には積極的に反論できなかった。今にして思えばラヴソングに the great things はおかしいわけだけど、それにしても馬鹿な記事を書く輩がいたんだなぁ。この馬鹿な記事も「悲しき天使」に影響されたんだろうか。まあ日本の恥の話題はこれくらいにとどめましょう。

さて今回、動くメリー・ホプキンの魅力が一段落してから、当時歌詞が分からなかった件を片付けようとして歌詞を改めて読んで驚いた。未だ分からない部分もあるには違いないが、これは決してラヴソングではない。大袈裟に言えば、自らの不覚を恥じたのである。そこでこの歌が産まれる経緯(いきさつ)を調べて更に驚いた。まあ、私の無知に起因する事ばかりではあるのだけども…。

私は暗に、この曲はメリー・ホプキンのために書き下ろされた作品と思い込んでいたのだけれど、実は当時アメリカのフォークシンガーが歌っていたもの(†)のカヴァーだったと分かった。更に、それはそもそもロシア由来のメロディーらしいとも分かった。この時点で、なるほど言われてみればメロディーはロシア民謡だなあとも思った。そうか、バックでリズムを刻んでいるのはバラライカか、と膝を打ったのである(後日、読んだ記事では、バラライカではなくてバンジョーだったらしい)。

(†)後出の Gene Raskin ではなく、The Limeliters だと推測する。

ロシアで歌われ流行していた歌を、アメリカのミュージシャン Gene Raskin (1910? July 2004, at the age of 94 in Manhattan) が英語にして歌ったのが Those Were The Days の起源であるらしい。原曲は、ロシア革命の時代に出来たものらしく、メロディーはそのまま、英語の歌詞はロシア語の原曲とは異なるらしいが、現時点で私がインターネットで調べた限りでは、残念ながら、確たる情報に行き当たらなかった。

Gene Raskin が60年代初頭に出入りしていた居酒屋での思い出を元に詩を書いたと言う情報もある。しかし、当時は日本で言えば団塊の世代が騒ぎ出す前の頃だが、彼は当時50代でその頃にこの詩を書いたのだとすれば、若者がその時代を背景に議論するような空気を歌詞に込めたとは、あり得ないとは言えないが、それは考えにくい。それよりも、彼の若い頃に経験した時代を歌詞にしたと言う方がありそうである。つまりロシア革命(1917)の頃の空気が背景にあると考える方が順当のような気がする。革命当時、彼は子供だったけれど、青年に育った時点で10年前に異国で革命があったという背景は考える価値がないだろうか。

そう考えて、Those Were The Days の歌詞に戻ってみると、変動の時代に若者が描いた時代を良く反映した歌詞に見えてくる。以下には愚訳を試みた。

細かな点は後回しにして全体を見渡すと、現時点から過去を述懐する形で書かれている。形式的に見てほとんど過去形である。更に物語のほとんどが 'd となっているのは、would だろうから、物語の時点から望んだ未来である。過去形一辺倒はテンスと言うやつだと思うけれど、日本語を常用している立場からすると、こう過去形が並んでは日本語での表現には適さないので、愚訳では日本語らしく時空を自由に移動した。さて、物語の舞台は tavern である。これは飲み食いできる店で、辞書には居酒屋とあるが、古いと言うニュアンスを含んだ言葉らしい。店自体も古いし、また古い時代を懐古した店のようである。この点からも、Gene Raskin が若かった頃を想起していると考えると、物語の全体像がなんとなく定まってくる。また、tavern は北米で使われる言葉だと明記した辞書もあった。

日本流に言うと歌詞は4番まである。それぞれの冒頭は、(1)Once upon a time... (2)Then the busy years... (3)Just tonight I stood... (4)Through the door... である。1番では淡々と遠い過去の事実を述べている。2番では年月が流れ自分たちが思い描いていた「もの」を失った事実を述べる。3番は Just tonight だから、正に今しがた来訪し「もの」だけでなく道をも失っていた事に気付く。4番は現実ではなく幻の友に再会した空想の出来事だと思われる。物語の中心的な述懐は we're older but no wiser だと思われる。自分は若さを失わなかったとの自負さえ感じられませんか。

細かな点で私を悩ませたのは、大した違いではないが、歌詞を調べて行くと二通りあった事である。つまり実際の音源に当たって後から分かったのは Mary Hopkin が歌ったものと、The Limeliters の歌ったものとが存在する。その違いは、Think of all... (Mary Hopkin) と、And dreamed of all... (The Limeliters) の部分である。後者は how we laughed... and dreamed... なのだろうから、結構違うと言えるが、内容的には大きく異なるとは考えられない。時間的には The Limeliters が先だから、Mary Hopkin が表現を嫌って変えたのかも知れない。イギリスでは dreamt であって dreamed ではないと言う辞書もあった。

歌詞の相違ではもう二箇所、The Limeliters が In the glass I saw a strange reflection と歌うところで Mary Hopkin は a を抜いているところと、その次のセンテンスで Mary は stranger (The Limeliters) を woman と歌っているところである。a reflection と言えば、グラスに実際に映った影を指すようで、また冠詞を付けずただ reflection であればグラスを通して回想された姿と言うことだろうか。

何故こうした相違が生じたのかを考えると、知りたくなるのが Gene Raskin の作った原典の詩である。そこでは、世界的に知られたように、歌の主体は女なんだろうか。Gene Raskin は夫婦で歌ったそうだが、妻が歌ったのだろうか。そもそも不思議なのは、18歳の女の子(Mary Hopkin)がこの歌詞を歌って世界的にヒットした事自体である。言葉の通じない日本のような事情(「悲しき天使」)はあるにせよ、歌詞の内容を十分に理解している筈のイギリスで大ヒットしたのだから、それに共感して売れたと考えるのが順当だろう。デモクラシーがイギリス流には浸透していない日本では、こうした歌詞を若い女性が歌う事は考えられないと言う事なのかな。

何かと疑問は残るにしても私にとって、この歌は懐かしさも手伝って、なかなか面白い。メロディーは日本人好みのロシア民謡調で、歌詞も読んでみると(聴いて分からない点は情けないが)若い時代への眼差しが暖かい。若き日の動く Mary Hopkin も気に入った。それにしても、どなたか Gene Raskin の原典、ご存知ありませんか。

参考:
The Story of Those Were The Days
二木紘三のうた物語: 悲しき天使
遠い道を: 二木紘三のうた物語

補遺

その後、Gene Raskin の演奏(正確には Gene & Francesca)と思われる音源に出会ったのと、1991年1月付けの記事(インタヴューを含む:下記に部分引用)を見つけたので、若干追加します。

Those Were the Days / Gene & Francesca

Once upon a time there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours
Dreamed of all the great things we would do

Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way.

La-la-la la-i-la la-la-i la-li-la,
Those were the days, oh yes those were the days

Then the busy years went rushing by us
We lost our starry notions on the way
If by chance I'd see you in the tavern
We'd smile at one another and we'd say

Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes those were the days

La-la-la la-i-la la-la-i la-li-la,
Those were the days, oh yes those were the days

Just tonight I stood before the tavern
Nothing seemed the way it used to be
In the glass I saw strange reflection
Was that lonely fellow really me

Mmm, mmm, ..
Mmm, mmm, ..
Mmm, mmm, ..
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes those were the days

La-la-la la-i-la la-la-i la-li-la,
Those were the days, oh yes those were the days

Through the door there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh my friend we're older but no wiser
For in our hearts the dreams are still the same

Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes those were the days

La-la-la la-i-la la-la-i la-li-la,
Those were the days, oh yes those were the days

演奏の出典は明らかになっていない。調べてみると、Hello Love / Gene & Francesca [Tetragrammaton: T-124 / 1969] と言うアルバムに Those Were the Days が含まれているので、これだと思われる。厳密に言えば、このアルバムを手にした上でのことではないし、さらに音源が本当に Gene & Francesca による物だとは言い切れないけれど、現時点ではこれだとして話を進める。また、記事のインタヴュー日付が不明なので記事掲載日付の少し前と想定すると、Gene Raskin は80歳前後だと思われる。従って創作時点から30年程度経過して発言内容に記憶違いなどがあるかも知れないので、これらの情報から厳密な議論が出来ないと考えた方が良いと思う。それらを前提としても、なかなか興味深い。

アルバム (Hello Love) が1969年なので、Mary Hopkin が1968年だから、Maryが知っていた演奏が忠実に記録されている保証はない。しかし、インタヴューにある通り、この曲は売れなかったらしいので、Mary Hopkin がヒットしたから、ようやく日の目を見て録音できたとも考えられる(The Limeliters 盤が出たのは1962年らしいが、インタヴューでは1964年に書いたと言う、矛盾ですね)。

さて、Gene & Francesca を聴いて、Mary が歌うのは The Limeliters よりもこれに近いと感じた。さらに、歌詞で気付いたのは In the glass I saw strange reflection と冠詞なしで歌うのは Mary だけではなくて、Gene & Francesca がこう歌っていると言うことである。次のセンテンスで Mary が that lonely woman と歌う部分は、that lonely fellow(寂しげなあいつ)であった。デビュー前の Mary は Gene & Francesca を聴いていたのではないだろうか。

インタヴューによれば、Gene Raskin は原曲を母の歌で知り、少し改変して、新しく言葉を付けたと言っている。3歳でロシア語を話したとも言っている。つまり、彼は原曲の歌詞を知っていたのであろう。新しく作った歌詞に原曲の影響はあったのかなかったのか良くわからない。Gene の書いた歌詞では、若き日の夢が何なのかは語られていない。

Gene の語るのは、前記の通り、starry notions を失い、sure to have our way が出来ず、dream だけが残ったような人生の「形式」であろう。そしてその人生を肯定するのである。その「形式」が普遍的に人に感銘を与えるのではないか。それが何であったのかの「内容」を彼は語らない。私はロシア革命の混乱期に若者が思い描いた数々の変革が実現できず、年老い振り返る姿が重なってしまう。それでも、それは語られ得ない「内容」であり、詮索する意味はあまりないのだろう。さらに付け加えるなら、インタヴュー記事で彼は大学教授の職をなげうって旅芸人の道を選択したと言う。そういう姿勢も私には重なって見えてしまう。

それにしても Mary がなぜこれを歌う事になったのだろうか。その疑問は依然残る。

参考:
Дорогой длинною(ロシア語ページなので筆者はサーチエンジンの英訳を利用)

a tavern重要な言葉(初出のキーワードなど)
the tavern既出の概念などを指し示す
本文…本文…本文(n)本文…

(n)コメント

The LimelitersHary Hopkin

Those Were The Days

Gene Raskin / Russian Traditional
sung by The Limeliters
sung by Mary Hopkin

Once upon a time there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours
And dreamed of Think of all the great things we would do
以前そこに居酒屋があった
私たちはよく、そこで一二杯のグラスを傾けた
いつまでも笑い続けたのを忘れない
私たちが成し遂げるはずと夢見ただった壮大な事すべてに思いを馳せるのことも
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way.(1)
Lalala lah lala, ...
友よ、そんな時代があった
私たちは考えていた、それは決して終わらないだろうと、
一日中、そして永遠に歌い踊り続けるだろうと、
自ら選んだ人生を生きるだろうと、
互いに負けはしまいと議論するだろうと、
なぜなら、私たちは若く、行く先が見い出せるはずだったから(1)
Lalala lah lala, ...

(1)リフレイン(繰り返し)部にあるこのセンテンスが、後続のリフレインに置かれていないのは、以降ではこの部分の意味する内容が失われる事が暗示されている

Then the busy years went rushing by us
We lost our starry notions(2) on the way
If by chance I'd see you in the tavern
We'd smile at one another and we'd say
それから忙しい年月は、私たちを巡りあわただしく流れ
私たちは行く先まばゆい思惑(2)を失った
もし偶然、君とその居酒屋で合えるのなら
互いに微笑み、そしてこう語らうだろう

(2)the great things を失った。尚、(3)も参照の事。

Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way
Those were the days, oh yes those were the days
Lalala lah lala, ...
友よ、そんな時代があった
私たちは考えていた、それは決して終わらないだろうと、
一日中、そして永遠に歌い踊り続けるだろうと、
自ら選んだ人生を生きるだろうと、
互いに負けはしまいと議論するだろうと、
なぜなら、私たちは若く、行く先が見い出せるはずだったから
そんな時代があった、そう、そんな時代があった
Lalala lah lala, ...
Just tonight I stood before the tavern
Nothing seemed the way(3) it used to be
In the glass I saw a strange reflection
Was that lonely strangerwoman really me
今宵、その居酒屋の前に立つ
あの頃の行く先(3)は、もはや無い
あのグラスには見知らぬ人影が映る
その寂しげな姿は、本当に私なのだろうか

(3)あると思っていた our way すらも失っていた 

Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way
Those were the days, oh yes those were the days
Lalala lah lala, ...
友よ、そんな時代があった
私たちは考えていた、それは決して終わらないだろうと、
一日中、そして永遠に歌い踊り続けるだろうと、
自ら選んだ人生を生きるだろうと、
互いに負けはしまいと議論するだろうと、
なぜなら、私たちは若く、行く先が見い出せるはずだったから
そんな時代があった、そう、そんな時代があった
Lalala lah lala, ...
(4)
(4)

(4)曲はここで移調し、緊張感が高まり、クライマックスに導く

Through the door there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh my friend we're older but no wiser
For in our hearts the dreams are still the same
聞き覚えのある笑い声が、そこのドアを抜けて入ってくる
そこに君の顔が現れ、そして私を呼ぶ君の声が聞こえる
ああ友よ、私たちは賢くなれずに、ただ年を重ねた
なぜならば、私たちの胸は、未だ変わらぬを抱き続けるのだから
Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days my friend, those were the days
Those were the days, oh yes those were the days
Lalala lah lala, ...
友よ、そんな時代があった
私たちは考えていた、それは決して終わらないだろうと、
一日中、そして永遠に歌い踊り続けるだろうと、
自ら選んだ人生を生きるだろうと、
互いに負けはしまいと議論するだろうと、
なぜなら、私たちは若く、行く先が見い出せるはずだったから(1)
自ら選んだ人生を生きるだろうと、
互いに負けはしまいと議論するだろうと、
そんな時代があった、 友よ、そんな時代があった
そんな時代があった、そう、そんな時代があった
Lalala lah lala, ...

参考

リンクお節介メモ
Those Were The Days / Mary Hopkin 動画
Twiggy のエピソードは本当かな?
☆☆☆☆ 秀逸。2番抜けが残念。
縦横比不良
縦横比良 多分同上 1969-02-07
[HD] 画質良好 多分同上 1969-02-07 リンク切れ
フランス語版
イタリア語版
スペイン語版
ドイツ語版
Those Were The Days その他関連
番外編:動くメリーホプキン
本家 The Beatles より好い。残念ながら口パク
口パク?
秀逸と同じ衣装
1′45″ - 2′04″ / Oppotunity knocks で歌ったのが先?
口パク?
知りませんでした、こうした活動をしていたんですね。
同上。なかなか良いですね。

参考2

It's `Those Were The Days' Again Hit Song By Ex-allentonian And Husband Is Big Part Of Broadway Revue
<http://articles.mcall.com/1991-01-05/news/2791231_1_moishe-rosenfeld-english-yiddish-yiddish-songs>

上記より部分引用

:

When former Allentonian Francesca Leonard and her husband, Gene Raskin, wrote the song "Those Were the Days," in 1964, they never thought it would become one of the hit songs of the decade.

"I wrote that song in 1964 and for four years I couldn't sell it to anyone," Raskin recalled during a recent interview in his New York City apartment. "My own publisher said it was unsellable.

"Then, in 1968, we were singing in the Blue Angel nightclub in London and Paul McCartney heard it. He had just started his own record company, Apple, and Linda Hopkins recorded it. It's still bringing in the royalties 22 years later."

:

"I got the inspiration for the song from my mother," explained Raskin, playing the original Russian melody on his piano. "She would sing it to me. I tampered with it a little and wrote new words," he said, playing his version to illustrate the similarities.

Raskin grew up in a tri-lingual New York household. His father was the artist Saul Raskin and his mother was a journalist for the New York Yiddish Press. "I could speak English, Russian and Yiddish at the age of 3."

Francesca Raskin, still an extremely attractive brunette, heard her first Russian songs on a trip to Palestine in the '30s. Her mother, Rose Leonard, was an early Zionist, and often took Francesca and her younger brother Herman, now a well-known jazz photographer and a friend of Quincy Jones, with her. Their first trip was in 1929.

"I attended Allen High for a year, but Allentown was too stuffy for me," said Francesca Raskin. "I went to boarding school in Palestine, first in Haifa and then in Tel Aviv. I came back and went to Muhlenberg Prep before I left for New York. I remember when I was living in Palestine that there were a lot of Russian Jews and they always sang Russian melodies as well as Yiddish songs."

:

The Raskins entered show business relatively late in life. But taking the unconventional path was not something new. The Raskins had met when Francesa was 16 on a cruise ship with her older brother Ira Leonard, who still lives in Allentown. The following year, Francesca moved to New York, and five weeks later, eloped with Raskin, who was a 26-year-old college professor at the time.

Raskin suddenly gave up his teaching position at Columbia University in the late 1950s. "Life was too short, so I grabbed my guitar and my pretty wife, and ran off to the world of show business," said Raskin. "My mother was horrified. Imagine what a blow for her son, the professor, to go off with a guitar. We had a wild time for more than 15 years. We performed in London, Rome, Lisbon, Tel Aviv, New York ... and we even performed in Allentown." For the last few years the Raskins have been semi-retired, performing at only a few benefits in New York and in Majorca, where they have been spending their winters for the last 25 years.

:


Copyright © 2010 Tagata Akira
更新履歴
2010-06-01
掲載開始
2010-06-09
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