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フォアグラ

週末に会って飯でも喰おうと友人から連絡が入った。それまでの消息に何かと不安があったので会って確かめようと思う。先日届いた報らせでは、仕事先で病気になったと言うのである。

約束した週末は大寒を迎え、更に夕刻なので大変寒い。定刻、待ち合わせの場所に行くと、ケータイが鳴り、近くでコーヒーを飲んでいるから来いとメールが届いた。その店への簡単な道案内が記されている。それに従って行くと、店の名前から場所はすぐ分った。地下だと言うので降りて行くと、果して友人は他の客に紛れ腰掛けて独りコーヒーを飲んでいる。心配した程には様子に変化がなく見えた。余り悪くはないようだ、と思う。店は混んでいるから、友人の向かい座席だけが空いているばかりである。簡単に挨拶を交わして、そこに座を占めた。

彼はある用向きで、去年タンザニアに出向いていた。年の明ける前には帰国の予定だったが、年の瀬には別段の連絡もなく、正月を迎えた。出張で新しい土地に行った帰りには、きっと連絡があり、彼の土産話が楽しみでもあったのであるが、しかし今回はそれがなかったのである。まあいずれ連絡があるだろうぐらいに思っていた。正月の二日、寝ようと床に入る前、ケータイの電源を切ろうとすると、メールが1通入っていた。開くと彼からで、年始の挨拶と一緒に「タンザニアで病気になり今パリの病院で治療を受けています」、とあった。詳しいことは帰国してからともあった。何でパリなんだ、との疑問が湧いたが、メールを送るくらいの元気はあるんだなと一応は理解し、到来メール同様の電報風な返事を送ったが、それきりになっていたのである。

混雑する店内を少しばかり憚るように、経緯は後で説明すると言って、病名など簡単に言った。そして、はいこれ、お土産と言って包みを渡す。何だと思うと訊くので、見るとビニール袋越しに細長い筒状の缶がある。缶コーヒーかと言うと、馬鹿言えと言う風な顔をして、フォアグラだと思うと言う。病気になって色々世話になった人にはキャビアを買った。君にはフォアグラだと言う。心配したには違いないが、病気の顛末では何の世話もしていないから、それに乗じて何か貰う理由は全然ないが、折角のフォアグラを貰わない理由もないから頂くことにした。

フォアグラが使われた料理を喰えと言われれば、何の遠慮もなく喰うと思う。しかし、食材としてフォアグラを頂いても、ちょっとどうしたら良いか分らない。細長い筒状の缶は良く見ると、小さな缶詰四つをまとめて包んだものだ。ひとつひとつを見ると、微妙に表記やデザインが異なる。どうやら三種類の詰め合わせらしい。書かれた文字を眺めるとフランス語らしい。買って来た張本人が「フォアグラだと思う」と言うのと同じで「フランス語らしい」と言うのは、共に想像である。対象の詳細を知らないから「思う」と言い「らしい」と言う。缶の文字列を眺めてもどうフォアグラを退治したら良いかその方法が分らない。大変頼りない。

後日、知人の女性にフォアグラの調理方法を知ってるかと尋ねると、知ってると言って詳細を話始めた。しかしそれが、先日頂いた土産の調理法に該当するかは分らないので、聞いても無駄になるといけないから、それを制して、友人に貰った土産があるので「おすそわけ」するから調理法を教えろと頼んでしまった。高価な土産と思ったのか遠慮した風で彼女はそのお友達に訊いたらどうと言う。「フォアグラだと思う」と言う人間に調理法の分る筈はない。まあ、こちらで「おすそわけ」の代償としての意見を聞く法が無難に違いない。その報告を待って、退治できるかも知れない事に期待することにした。

拙稿はフォアグラが主題ではない。何故、フォアグラが我が手元に出現したのかの顛末である。無論顛末は、我が友人の第一人称で語るべきものである。後半に記そうと思うのは、その顛末を聞き、我が胸中に起こったさざ波である。

簡単に言ってしまえば、我が友人は、タンザニアで「マラリア」に掛かり、前後して「胸膜炎」をも発症したらしい。タンザニアでは「胸膜炎」が見出せず、パリに運ばれ治療を受けたと言うのである。

「マラリア」にしても「胸膜炎」にしても、具体的に症状なり治療なりは体験のない筆者には無論皆目分らない。友人は逐一説明に及んでくれたが、へえ、へえ、と言うばかりである。また、さぞ苦しかったんだろうなと想像もし、心底同情をもするが、回復できて良かったなと思うばかりである。後日、それぞれを簡単に調べてみたが、そこに出て来る内容は、驚いた事に友人が治療の過程で得た具体的知識と同じものであった。つまり、友人がタンザニアで受けた「マラリア」の治療、そしてパリで受けた「胸膜炎」の治療は、典型的であり、かつ相応なものだったらしいと推察がついた。

びっくりしたのは、費用である。日本国内ではないから、健康保険ではなくて(疾病保険と言うのか良くわからないが)、病気治療で必要な費用が支払われる保険を適用できたと言うのである。支払い上限が3000万円で、収支はなんとそれを少し越えたらしい。

タンザニアに於いて「マラリア」の治療は出来たが、それ以外の不調の原因が分らず、病状の改善がないので病院のスタッフと保険会社のスタッフで相談した結果、8人乗り小型ジェットのチャーター便でパリに緊急搬送する事にしたのだと言う。これが確か1500万円程度掛かったと言う。治療は無論十割負担だから、タンザニアとフランスでの入院治療に残りは掛かったのだろう。これには、少々驚いた。

その保険は三ヵ月で7〜8万の掛け捨てだと聞いた。つまりこうした保険の契約者400人に1人ぐらいならこうした事が起きても保険は成り立つと言うことだ。保険会社がボロ儲けしているとも思えないから、これ位な高額の支払いは結構起きているのではないか。これも、ちょっとびっくりである。

「マラリア」と「胸膜炎」の接点が「歯周病」だろうと友人はパリで言われたと言う。治療の一環で歯を何本か抜かれたと言う。「歯周病」の菌が巡り巡って胸膜に行き炎症の原因になったと言う。「歯周病」が恐いと言うのはそう言う意味なんだろうと漠然と思う。

友人はケータイのカメラで、パリ退院後のホテルで撮った如何に痩せたかと言う証拠写真を見せてくれた。70キロ近くあった体重が50キロ前半まで落ちたと言う。なるほど、写真では、腿と膝の幅が同じくらいである。細い棒二本に短パンが絡まっているような写真である。リハビリを兼ねてルーブル見物に行って来たとも言い、その写真と一緒に美術館界隈で写した写真が何枚もあった。写真の遊山気分からは余り悲惨な体験をしたとも思えないが、それも回復した証拠なんだろう。

友人は、飯を喰った店のレジ近辺で臆面もなく急に服をまくり上げ、手術の後を見せてくれた。脇から背中に掛けて八針縫ったと言う。それ以外にも数箇所、治療の傷跡が見えた。衆目の下で傷跡を見せる程度には、やはり回復したのである。

こうしてフォアグラは我が手中に落ちた。

Copyright © 2008 Tagata Akira
更新履歴
2008-02-05
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